いきなりですが

政治が嫌いだ。何が嫌いって、いつも政治の事を考えてくれている人に有難うと言わなきゃいけないこの世界が嫌いだ。世の中には「よくこんな面倒くさいことを好きになってくれる人がいるなぁ」と感心することがいくつもあって、夜中遅くまで店に残ってパンをこねてるパン屋さんを見たりとか、患者よりも憔悴しきっている医者の人を見たりとか、私にとっては苦痛だった数式の中に純粋に美を見出している高レベルなオーラの学者とか、そういう人に私はいつもお世話になっていて、有難うございます。でも政治については本当にそういう謙虚な心すら持てなくて、右翼、左翼とか〇〇党とかいう言葉を見ても何それと思うし、どれだけ勉強しても全く解らなかったし、本当に波長が合わないとしか言いようがない。

なぜ人は国を守らねばならないのだろう。身体を守らないといけないからだろうか?政治を好きな人って、別に仕方なく政治を語っているわけではなく、明らかに楽しそう。私も自分の好きなことが、この社会の役割の中にあってほしかった。なぜ自分の好きなものを見つける旅をさせられているのだろう。アイデンティティーが、肉体からズレている人たちがいる。私は〇〇人です。私の国を誇りに思っています、と言える人生は楽しそうだ。でも私は本当は名前のない世界に住みたい。それを夢とは呼びたくない。夢や誇りなんてどこか遠い国のものだ。結局のところ、私はここにいたくないのだ。アイスクリームは、好きですけれど

アイスクリーム族

私は虫が嫌いです。虫が嫌いで花にも特に関心はないのに「蝶よ花よ」の世界は大好きで、私もそんなファンタジーに行きたいと思うと同時に、もうそんな世界は通り過ぎてしまったんだなぁとも思えるくらいにはこの世界に慣れてきました。

明治の人が「どいつもこいつも川を埋め立ておって、けしからん!」と怒っていましたが、私は今日も好きなアイスクリームを買いに行くのにくたびれたアスファルトを車で通りながら、クーラーをつけて地球ごめんと謝る平凡な市民になってしまいました。先祖の人が私の生活を見たらきっと怒るだろうから、やっぱり先祖は偉いのかもしれない

昔の人は虫を嫌っていたんでしょうか。歴史の事は知りませんが、今よりも自然に溶け込んでいた感じがしますね。私はなぜこんなに自分の部屋に閉じこもって、自分の関心のあるものでいっぱいにして、自分が~自分が~と唸っているんでしょう。家、マイホームという概念はいつからあったんでしょうか。自分の部屋という概念は?そもそも自分というのも概念なのかな。どこかの民族は集団意識的に思考する癖があって、「この中に悪い人はいますか?」と聞かれたら「我々の中に悪い人はいない!」と答えるらしい。そういうのって幸せなのか、不幸せなのか。多分幸せという言葉自体が、いつの世も人を惑わせてきた悲しくむなしい言葉なんだろう。悟りという言葉と同じ。アイスクリームの甘さはとても人工的ですね。大好きだ