夕焼けのニュース

自分が男であるとか女であるとか、日本人であるとか、そういう感覚が無い。国籍、性別、地位なんかは自分の自信とダイレクトにつながっていて、それが生命力に繋がっていることまではなんとなくわかるけど。(それは周りのエネルギッシュな人を見てみたらいい。)困るのはこの世界はそういう生命力を他人の前である程度着飾らなきゃいけなくて、これが本当に面倒くさいと感じる。なんで人と会話するときに表面意識を作らないといけないの?ひどいよ。

この世界で生きやすいタイプの人は、世界をファッションショー的に見ている人だと思う。自分の性的魅力を高めることに関心がある人は、この世界は楽しいのかもしれない。私が知っている人は、ニュース番組を見ている時でもアナウンサーのスーツやネクタイばかり見ていて、とにかく人に服を着せたくて仕方がないようだった。映画「ショーシャンクの空に」で「更生、という言葉は、ある特定の人たちに背広を着せるための言葉だ」というセリフがあった。ニュースはひとがスーツを着たい、という夢を叶えるための集合的な舞台なんじゃないだろうか。なんでこれに参加しなきゃいけないんだろう

ある民族の人は共同意識が強くて「この中に悪い人はいますか?」という質問に「私たちの民族の中には悪人はいない!」と答えるらしい。これが、はだかのつきあいなのだろうか。うーん、わからない。UFOが来ても地球が次元上昇しても、この悩みは変わらない気がする。場所的なわたしがいること。それがえいえんの謎なのだ